黄金の牛

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 むかしむかし、ずっとずーっと大昔の話です。

 森にかこまれた湖のほとりの岩山に、ひとりの絶対者が住んでおりました。


 えっ、絶対者って?


 まあまあ、そうあわてずに。静かに聴いていれば、そのうちわかることですから。ひとが話しているときに口をはさむのは、お行儀のわるい子ですよ。それに先のことはまだ考えてないので、実のところ、この段階ではまったくわかりません。


 あっ、いま思いつきました。


 それは、宇宙創成時の大爆発(ビッグ・バン)で飛び散った「完全なるもの」のかけらのひとつ、もともとは復活と再生を司っていた機能の分身なのでした。男でも女でもないそれを、ここでは便宜的に「神」と呼ぶことにしましょう。


 神はいつも岩の上にすわり、青空を眺めてくらしておりました。ときどき湖畔におりて、木々や草花のなかを散策することもありました。さっきうっかり言ってしまったのでそのセンでいくことにしますが、この神は復活と再生のちからの変化でありますから、たとえば吐息なんぞを、ちょっとでも浴びようものなら、それが何であれ、たちまち蘇って生を謳歌する宿命を付与されるのです。死んだ動植物に神が息を吹きかけると、いきなり動物は生き返って駆けまわり、植物は遡及して花をつけるのでした。

 

 ところで、この湖から出た川が下流へ十日ほど旅した平野に、何でもよいのですが、えーと、ある種族の部落がありました。かれらの人種的特徴は、短い足に太い首、ずんぐりむっくりの体型に見ることができます。その強靭な足腰を生かし、男も女もこぞって農耕に従事し、他の文明から隔絶した辺地で、いちはやく狩猟採集経済を脱却しつつありました。

 その部落にジェルという名の青年が住んでおりました。ジェルは生まれつき、ものすごいハンサムでした。なにしろ部族中の男どもが胴長短足の五頭身なのに、ジェルにかぎって八頭身で男前なのです。女たちが放っておくはずがありません。みんな、てんでに出し抜きあって、ひそかにジェルの身のまわりの世話を焼いたり、食料や酒や塩を貢ぐので、かれは働かなくても食っていけるのでした。

 不労所得で悠々自適をしているやつを見ると、腹が立ちますよね。その上、なにより鼻持ちならないのは、ジェル本人が自分自身の美しさを、こよなく愛していることです。なにしろ鏡にうつした自分の裸体に、うっとり見惚れる始末ですから。まるで、ナルシスの再来であります。

 そんなジェルにも、どうにもならない悩みがありました。それは、歳をとりたくない、いつまでも若く美しいままでいたい、というワガママな思いなのでした。

こんなやつとは友だちになりたくないものですね。後ろから突然なぐってやりたいな。

 ひとは、その生の過程のどこかで、成熟と腐敗の境い目を越えなければなりません。いかなる人間も、寄る年波に腰は曲がり、顔はしわくちゃになってしまうものなのです。ジェルは、いつかくるそれが死ぬほどいやでした。老いさらばえて生きるくらいなら、死んだほうがましだと考えていました。いつのころからかジェルの心に、老いの徴候が少しでもあらわれたら自殺してしまおうという思いが、強迫観念となって宿りました。

 女たちの貢ぎ物で何不自由なく、裕福にくらした楽しい歳月(この時代のことは、また別の機会に語ることもあるでしょう。たぶん)の後、とうとうその日がやってきました。

ある朝、鏡の前に立ったとき、輝く金髪のなかに一本の白髪を見つけてしまったのです。ジェルはその場に凍りついたように、何時間も立ちすくんでおりました。

 その夜、ジェルは人知れず部落を出ました。美しい面影だけを女たちの思い出に残し、誰も自分の死体を発見できない樹海ふかく分け入っていきました。投身自殺する場所をもとめてのことです。というのは、この部族には古くから、高いところから落ちて死ぬ者は白い鳥になって大空に帰る、という言い伝えがあるからです。おそらくそれは、部族の居住地が見渡すかぎりの平地で、小高い丘も切りたった崖もないために、高い場所に対して部族民の情念に生じた畏怖と憧憬のあらわれなのでしょう。

 ジェルは樹海の奥に高い岩山があるという噂を頼りに、着のみ着のまま、飲まず食わず、十日間歩きつづけました。そしてついに湖畔の岩山にたどりついたときには、身も心もぼろぼろになっていました。


 神は岩山の下で、一人綾取りに興じていました。すぐ近くで鈍い落下音がしたので、その方へ行くと、岩場に全身血まみれの男がころがっているのを見つけました。話の都合上、その男というのは、もちろんジェルのことです。

 神は死骸のそばにしゃがむと、その死に顔にふっと息を吹きかけました。その所作はどうも愛とか憐憫とかの類いではないようです。いってみれば、神自身がもっている機能の条件反射、というようなものなのでした。案外それが人間たちが「神の慈悲」と呼ぶものの正体なのかもしれませんね。

たちまちジェルは蘇生しました。

「こ、これは・・・」

 ジェルは跳ね起きると、かたわらの神など眼中にないといった態度で、また必死に岩山をよじ登りはじめました。ジェルは死のうとする考えで頭がいっぱいだったのでした。それで高いところから飛び降りたのにもかかわらず、かすり傷ひとつ負ってない異常さを、ただ運が悪かった、つまり打ちどころが良すぎたくらいにしか思わなかったのでした。

 だから二度目は確実に死ぬために、一度目よりもずっと高いところから飛びおりました。彼のからだは最初、足の方から落ち、途中で一回転すると、頭から岩場に激突しました。頭蓋が割れ、血と脳漿が飛び散りました。眼球が一個ころがって、神の足もとに。それでも神は顔色ひとつ変えず、おもむろにその眼球をひろいあげると、血だらけのジェルの眼窩にはめこみ、また息を吹きかけました。すると、みるみるうちに飛散したはずの血や脳漿が逆流して、もとのサヤに収まりました。彼はふたたび生気を取りもどしたのでした。


 「い、いったい・・・?」

 ジェルは上体をおこすと、自分がまだ生きていることに強いショックをうけました。そして神の存在にはじめて気がつきました。

 神はやおら立ち上がると、厳かに言いました。

「人間よ、なぜ死に急ぐ」

 ジェルは驚きで頭が混乱して口をぱくぱく開閉させるばかり。

「人間よ、『完全なるもの』の真意が奈辺にあったのか今はもう知りえぬが、いかなる場合にも生きようとするのが、お前たちに与えられた属性だと思うが。爆発し拡散をつづける宇宙の、そうだな、言ってみれば前むきのエネルギーの因果の所産を、お前たちの言葉で『希望』というんじゃなかったか」

 ジェルは自分のそばに立っているのは、「聖なる者」あるいは「魔なる者」のひとりであるのを、突然理解しました。そして腹をくくると、座りなおして言いました。

「あなたさまが何者であるか存じませんが、どうか私にかまわないでくださいませ。私はよりよく生きるために死を決意したのでございますから」

 それを聞いて神がはじめて笑いました。

「生きるために死ぬとは、面白いレトリックだな。どれどれ」

 神は右手を彼の頭上にかざしました。そのときジェルは軽いめまいをおぼえました。

「なるほど、まあ、そういうバリエーションもあっていいわい」

 神はその不思議なちからで、ジェルの頭脳から直接これまでの情報をさぐり出したのでした。それを感じとったジェルは改めて腰を抜かしてしまいました。

 少しの間考えてから神が言いました。

「人間よ、その望みをかなえてやろう。お前はいつまでも若く美しいままでいたいのだろう?」

 ジェルは緊張のあまり声が出ず、肯定のしるしに首をこくこく縦にふりました。

 「それでは、お前が腰につけている袋を渡すのだ」

 その革袋のなかみは、ジェルが稼いだ(女たちに貢がせた)財産を砂金にかえたものでした。彼は、やっぱり代価をとるのかそりゃそうだよな、と漠然と考えながら腰のものを神に手渡しました。

 神は袋の口の紐をゆるめて、そこから息を吹き込みました。それからペッと唾を吐き入れ、ゆっくりと二、三度ふりました。革袋のなかで、ちゃぷちゃぷと液体がゆれるような音がしました。

「見ろ」

 神が何かを指さしたので、その方向に目をやると一匹のカエルがあらわれました。森から岩場に迷い込んだのか、いいえ、神が何らかのちからで呼び寄せたにちがいありません。

 言われたとおりジェルはカエルの動きに見入りました。カエルはピョンピョンと跳ねて前進すると、今度はじっと身動きしなくなりました。

 と思ったら突然跳ねてまたピタッと止まりました。それを何度も繰り返してカエルは神とジェルの間にきました。そして誘われたかのように神の足もとへ身を寄せました。すると神は片足を大きく上げました。おや何をする気だろうと思った次の瞬間、神はその足をカエル目がけてちからまかせに下ろしたのでした。

  いやな音がしました。カエルは神の足うらで岩に押しつけられペシャンコに潰されました。内臓が飛びだし体液が流れ出ました。ジェルは唖然として神を見上げました。しかし神は一向に気にする様子もなくカエルの骸から足をどけると岩の角で足うらの粘液をこすり落としながら言いました。

「いいか。よく見るのだ」

 神は身をかがめると先ほどの革袋をカエルの死骸の上に傾けました。黄金色の溶液が数滴、陽光に輝きながら落下しました。カエルはどうなったか? もちろん、みなさんはとっくにご存知ですね。現代でいえば逆回転フイルムでも見るように再生してしまいました。ジェルは自分もこのように復元されたのだと、このときはじめて気づきました。そしたら何だか急に吐き気をもよおしました。

 神は蒼白な顔で呆気にとられているジェルの眼前に革袋を差し出しました。

「受け取るのだ。使い方はいま見せたとおりだ。これだけあれば二千年は若返りを繰り返して生きていけるだろう。二千年といえば人間にとってほとんど永遠といってよい時間であろう。

 ジェルがおずおずと革袋を手にすると、神はふいに踵を返し岩山の方へ歩きだしました。綾取りのつづきをしなくちゃな、と神は思いました。もうそのときにはジェルのことなどきれいさっぱり忘れていました。


 ジェルは革袋を手に持ったまま考えました。この黄金の水の力は強力だから使い方に注意しなくてはと。若返るくらいにはほんのちょっとの量で十分に思えました。そこでほんの一滴だけを慎重に頭にふりかけました。すると頭のてっぺんから痺れるような衝撃が爪先まで走ったかと思うと、今度は逆に足から頭の方へ向かって新たな力が湧き上がってきました。全身が軽くなってジェルは岩場を飛ぶように跳ねまわりました。そして岩場のへりまできて湖面をのぞき込みいっそう喜びに満たされました。そこに映っていたのは若返った自分の姿であり、十代のつややかな皮膚の張りや澄んだ青い瞳などが見事に復活していました。ジェルは喜び勇んで帰路につきました。また女たちとの甘い生活がはじまるのです。

 今度は、ほとんど永遠に!


 めでたし、めでたし。

 って、まだ終わりではありません。ちょっとつづきがあります。その後のジェルの足どりについて今に伝わる話は少ないのですが、それらの話を寄せ集めて勘案するに、どうやらジェルは別人のように若返ったために仲間や女たちからさえも気味悪がられ、皮肉なことに部落を出て行かなければならなくなったようです。ジェルの長い放浪のはじまりでした。

  

 それからほとんど永遠といってよいと神が太鼓判を押した二千年もあっという間に過ぎました。現在、歴史上に名を変え身分を変えたジェルらしき人物の痕跡をいくつもの時代にわたって散見することができます。しかし、それらが果たして同一人物であるかどうかは定かではありません。





「これが、その黄金の水の入った革袋なんですよ」

 少年のようなあどけない顔の商人が古ぼけた革袋を取り出しました。「ほとんど残っちゃいませんがね」

 大きなテーブルをはさんで商人と対峙している老富豪が懐疑のまなざしを向けました。

「それが、いわゆるサン・ジェルマン卿の形見というやつか。なるほどバカげた話だ。そんなホラ話を信じようとするのは、何も知らない子供か、私のように貪欲な老人だけだろうな」

 商人は、へへへと狡猾そうに笑い、揉み手しながら答えました。

「旦那さん、未知なるものを求めるのはロマンというやつですよ。人間はえてして日常という見知った生活圏のなかで頑迷な固定観念をはぐくみ、そこから一歩も出ようとはしないものです。その点あなたさまはえらい。やはり世の中で成功する人物はどこか違うもんですなあ」

 それを聞いた老富豪は鼻で笑いました。

「ゴマをすっても無駄だよ。私は長生きしたいだけだ。もしも若さがカネで買えるものなら全財産を投げうってもよい」

 商人はちょっと首をかしげました。かれにはかれの考え方があるようです。

「しかし無一文になるのは考えもんですな。精神主義だけでは生きていけませんや。もちろんカネがあっても老いさき短いというんじゃだめ。おっと、あなたさまのことじゃないですよ。この世を謳歌するには若さとカネの両方が必要なんです。まっ、この革袋のなかみはたしかに大金ですが、あなたさまの身代にとっては屁みたいなもんじゃありませんか」

 商人は早口でそれだけ言うと老富豪の顔をじっと見ました。老富豪は鷹揚に振り返ると、部屋の扉の内側に待機している二人の従者に顎で合図しました。

 すると、かれらはいったん外に出て屋敷の前にとめた馬車から、大男の棺ほどもあるトランクを運び入れました。そして老富豪と商人の目の前で開きました。なかは札束でぎっしり。従者たちは口をきいたら給料が減るとでもいうように終始無言で札束をテーブルの上に積み上げました。

 商人の目が輝きました。

「あなたさまに欠けているのは若さ。当方が欲しいのはカネ。どうやら商談成立のようですな」

 商人が悦に入って札束に手を伸ばしたとき、老富豪が言いました。

「その前に」 

 商人はあわてて手を引っ込めます。

「その前に、私の質問に答えてくれ。それをどこでどうやって手に入れたかというような野暮なことは聞かないが、二つほどぜひ知りたいことがある」

 そう言いながら老富豪は内ポケットから煙草を取り出してくわえました。とっさに従者の一人が寄ってきて火をつけます。

「もちろん、なんでもお答えしますよ。遠慮なく聞いてください。ただし値引きの話はなしですからね」と商人。

 「伝説によれば、ナントカという神がナンデモ再生してしまう水を革袋に入れたということだが、これはおかしいと思わんか。だってそうだろ。どうして革袋自体は何の変化もしないんだ。その革袋は何の動物の皮をなめしたものだ。牛だって? だったら、たちまちもとの牛に復元するだろ。そこにおおいなる矛盾を感じるね」

 老富豪が胡散臭そうに商人を見ました。

 しかし商人は動じる気配もありません。

「旦那さん、不条理ゆえにわれ信ず、ですよ。理性と合理主義の時代がはじまってからまだせいぜい七、八百年しかたっていないのです。この話はそれよりもはるかに昔のことですからね。今の世の考え方では処理できないと思います。まあ、論より証拠、ちょっと触ってみてください」

 そう言うと商人は例の革袋を老富豪の前に突き出しました。老富豪は言われるままにしましたが、触れたとたんにびっくりして指を離しました。

「う、動いているぞ。ピクピクと脈打っている!」

「ね、不思議なこともあるもんでしょう。この革袋は生きているんです。いや、生き返りつつあるとでも申しましょうか。なかみが残り少なくなるにつれて、だんだん生気づいてくるんですよ」

 ここで商人は一息つき、老富豪のまねをして煙草をくわえました。そして、わざとらしく間をとりましたが誰も火をかしてくれません。老富豪が焦れて咳払いをしました。

「ということは、これはあくまで仮説ですが、神はこの革袋に限定解除つき封印を施したのではないでしょうか。神の水を入れておくための容器としてのね。だから、空っぽになったときはじめて、その呪縛から解かれてたぶん牛に変身するものと思われます」

 商人が話しおえると、老富豪はまた顎をしゃくりあげて合図しました。

 従者たちが外の馬車から汚らしい老婆を連れてきました。明らかに浮浪者です。しかも目がうつろで痴呆がはじまっている様子。

「さあ、最後のテストだ。それを使って、この婆さんを見事若返らせてみな」

 老富豪が強い語調で言いました。

「と、とんでもない。貴重な神の水を!」

 商人がこばむと、老富豪は指を鳴らし従者に目くばせしました。また巨大なトランクが運び込まれました。なかは札束でぎっしり。それを前に積んだ札束の上にさらに積み上げます。札束の高さで商人と老富豪はお互いの首から上しか見えなくなりました。札束の山に目がくらみ、ついに商人は老婆の頭に革袋のなかみを一滴たらしました。次の瞬間にはもう老婆の姿はありませんでした。かわりに美しい少女が妖精のような身のこなしで部屋中をかけまわっているではありませんか。ケラケラと明るい無防備な笑い声をたてながら。

 これを見た老富豪は札束の上から見える商人の顔に向かって叫びました。

「買った! このカネはきみのものだ。さあ早く、それをくれ!」

 そして、やや焦り気味に手を伸ばしました。商人もそんな老富豪の迫力におされたのか、口をあけたままの革袋を札束ごしに渡そうとしました。そのとき、いまの老婆への一滴でさらに生身に近づいた革袋が突然ピョンと跳ねました。あっ、という間もなく革袋は商人の手から札束の上に落ち、なかみが全部こぼれてしまいました。


 たちまち札束は変貌してパルプになり、丸太になり、ついに一枚ずつ一本の樹木に早がわりするものですからたまりません。張りだした枝や根は天井や床をこわしてどんどん広がります。

 人間たちは先を争って戸外に飛び出しました。一目散に走って息が切れたところで振り返ってみると、屋敷があったあたりはすっかり森と化していました。

 商人は、老富豪は、二人の従者は、いっせいに見ました。森の奥から金色に輝く牛が一頭、その背に笑いさざめく美少女をのせてあらわれ出たのを。黄金の牛はゆっくりと向きをかえると、何処へともなく歩み去っていきました。



 よい子のみなさんへ。黄金の牛と美少女はどこへ行ったのでしょう。商人と老富豪はそれからどうしたのでしょうね。M・エンデの「ネバーエンディング・ストーリー」のように、書く気もないのに「かれらにはかれらの別の物語がある」と、ひとまずは言っておきましょう。



(おわり)







初出 同人小説集「鯨のコルセット」(1990年1月発行)






by puffin99rice | 2017-07-28 14:26