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雲にのったポポ

  深刻な問題を考えるのは天才にまかせておこう(L.M.モンゴメリ)




 雨あがり。
 ポポはアパートの部屋から、ホップ、ステップ、ジャンプして、街へ通じる歩道橋の上まで駆け上がった。
 大きな虹が出ていた。
 その虹は、右側の背の高いビルと、左側のちょっと背の低いビルの間にかかった橋のように見えた。
 「すっごい! きれい! たまんないっ!」
 ポポは知っているかぎりの「ほめことば」を連発し、ついでに拍手をした。

 ちょうど、そこを通りかかった大人が、ふしぎそうな顔でポポに話しかけた。
 「こんなところで何してるの? 一人? おウチはどこ? お母さんは? あー、もしかしたら迷子かな?」
 そして、ポポの頭に無遠慮に手をおいて、髪の毛を撫でた。
 ポポは、そうした大人の挨拶が嫌いだった。その手の下から、すばやく走り出ると、ふりむいて言った。
 「虹を見てるの。一人でも淋しくないの。すぐ近くに住んでるの。ママはホケンのガイコーに行ってるの。だからあたし、迷子じゃないのよ。わかった?」
 大人は肩をすくめ、あきれ顔で答えた。
 「わかったよ。じゃ、バイバイ」

 大人が行ってしまうと、ポポはまた虹を見はじめた。
 と、下の方から赤いものが、ふわふわのぼってきて、ポポの鼻先をかすめた。
 「あ、フーセン」
 ポポは、とっさに手をのばし、風船がしっぽのように垂らしている糸をつかもうとした。
間に合わなかった。
 風船はポポをまったく相手にせず、青空をどんどんのぼって行き、ついに見えなくなった。ポポは、からだ中の血が、頭に集まってしまうほど反りかえって、それを見ていた。
 とても残念だった。なんだか知らないけど、大事なものをなくした気分だなと、ポポは思った。

 すると今度は、上の方から、大きな飛行船があらわれた。ぴかぴか光る胴体に、ポポが読めない字がかいてある。
 「おーい」
 手をふると、飛行船はすぐ降りてきた。犬のように素直なやつだなと、ポポは笑った。
 しかし、次の瞬間、
 「何か用かい?」
 飛行船が口をきいたのには、さすがのポポもびっくり。立ち直るまでに、たっぷり三分はかかった。それから思いきって返事をした。
 「背中に乗せてくれる?」

 「ダメだよ。オレは仕事中だかんね」
 飛行船は、ポポの頼みを、すげなく断った。そして、たぶん胸をはって言った。
 「ここに字がかいてあるっしょ。コマーシャルなんだ。わかる? オレ、宣伝マン」
 「電線マン?」
 「ちがう。セ・ン・デ・ン・マ・ン」
 なんだかよくわからないけど、ポポはすっかり感心してしまった。
 「すっごおい! きれい! たまんないっ! で、なんてかいてあるの?」
 陽気な飛行船は、きっぱりと答えた。
 「知るもんか。じゃ、オレ忙しいから」
 そして、行ってしまった。

 「あーあ、つまんないの」
 ポポは、歩道橋の上で、石をけるふりをした。
 と、そのとき突然、耳もとで大きな声がした。
 「こらっ、そんなところで遊んじゃ、あぶないぜっ!」
 驚いて見ると、白くて、もこもこしたものが、ポポに向かって、顔を突きだしていた。
 「も、もしかしたら、雲・・・さん?」
 「そのとおり! アイム・クラウド」
 「えっ? なんて言ったの」
 「いや、なんでもない。ところできみは、なにをしているんだ」
 そう言われて、ポポは、ぽんと手を打った。

 「背中に乗せてよ。あんたはヒマでしょう」
 「ヒマというわけではないが、雲はみんな勝手気ままに暮らすのが・・・あっ、こら、こら、よじ登ってちゃいかん」
 しかし、ポポは、ちゃっかり雲に乗ってしまった。
 「きゃあ、ふあふあだあ。すごいっ! きれい! たまんないっ!」
 雲は、たしかにたまらんわいといった風に、たぶん首だと思われる部分を左右にふった。
 「ちえっ、タクシーじゃないんだけどなあ。まっ、いいか、どちらまで、お客さん」
 ものごとに深くこだわらない雲だった。

 「えーとね、どこが耳なのかわかんないけど、よく聞いてね。さっき赤いフーセン見たでしょ?」
 「ああ、南の方に飛んで行ったな」
 「それを追っかけてっ! それ行けっ!」
 ポポが元気よく叫ぶと、雲は面白がって、ポポに調子を会わせた。
 「おっと合点、承知のすけ、とくらあ」
 でも、ボキャブラリーに世代の断絶があって、ポポには通じなかった。
 「なあに、それ、バッカみたい」
 バカにされても平気だった。ものごとに深くこだわらない雲だった。

 「ひゃあ、気持ちいい。すんごいっ!」
 雲はポポを乗せて、大空高く浮かんだ。
 「えーっ、見て、見てっ。鳥が飛んでいるぅ」
 ポポは一人ではしゃいだ。
 「あのねえ、空に鳥が飛ぶのは当たり前だろ。珍しかないよ」
 「珍しいよっ。だって、あたしの下に飛んでるんだもん。なんだかあたし、偉くなった気分」
 雲のきわに身をのりだすと、ポポの住んでいる街の全景が見えた。その中央を、くねくねと曲がりなが  ら、どこまでもつづく川が、陽を照りかえして黄金色に輝いている。
 ふいに巨大なジェット旅客機が近くを通過した。
 「ニアミスだあっ!」雲が絶叫した。

 ジェット機がおこした風にあおられて、雲は失速し、錐揉み状に百メートルほど墜落した。
 失神しそうになりながらも、ポポは必死に雲の背中にしがみつく。雲はやっとこさバランスを取りもどした。
 「信じらんない。雲が落っこちるなんて」
 ポポがなじると、ちょっとだけプライドを傷つけられたのか、雲が弁解がましく言った。
 「飛ぶものにとって、飛行と落下は別のものではないよ。ほら、水鳥は魚を獲るために水面まで急降下するだろ。そのとき鳥は落下する自分を意識していない。なにしろ水面めがけて飛んでいるのだからね」
 ポポは、雲の話をまったく聞いていなかった。
 「わっ、またなんか飛んでくるぅ!」

 飛んできたのは別の雲だった。ポポが乗っているのより、ひとまわり小さいが、何倍も速かった。今度は十分な距離をおいてすれちがったので、アクシデントはなかった。
 「むこうにも誰か乗っていたみたい」
 「猿が一匹」
 「おサルさん? ウソみたいっ!」
 ポポが素っ頓狂な声を上げた。
 そのあとに飛んできたのは一枚の絨毯で、そのまた次が一本の箒だった。
 「いろんなものが飛んでるのね」
 「ここんとこ、ちょっと過密気味でね」
 「あっ、いまのは?」
 「大陸間弾道ミサイルだろ」
 「なに、それ?」
 「よく知らねえ。そういう名前らしいけど」

 雲は海の上に出た。ゼリービーンズほどに小さく見える船が一艘、白い航跡をひいて運行している。
 「あれは海賊船かしら?」
 そうならステキだなと思いながら、ポポは雲に聞いた。雲はぶっきらぼうに答えた。
 「きみがそう思うなら、まさしくあれは海賊船。それよりも随分遠くまできたけどさ、いいのかい?」
 「なにが?」
 「パパやママが心配するだろ?」
 ポポは、雲が急に大人みたいなことを言いだしたのが、可笑しかった。
 「ママは心配するだろな」
 「パパもだろ?」
 「ううん、パパはいないの」

 「え・・・」
 「パパはいないのよ。ママと二人きりなの」
 「ややっ、失言だったな。柄にもないこと言うんじゃなかった。ごめんよ」
 雲は、お詫びのつもりか、話題を変えるためか、急に歌をうたいだした。

   虹の下には何がある
   虹の下には大切な
   思い出がうまっているよ
   朝昼晩をなんども過ぎて
   海山川をいくつも越えて
   ほりだしに行こうぜ
   リュックサックしょって
   ああ 雲をつかむよな話だな
 
「きゃあ、ステキ。雲さんって、いい声」
ポポは拍手をした。そして言った。
「それで思いだしたわ」
「えっ、なにを?」雲が怪訝そうに訊ねた。
「あたしね、むかしママにきいたことがあるの。パパはどこにいるのって」
「ふむふむ、それで?」
「そしたらママは遠くの空を指さして、あそこにいるのよって言ったの。そいでね、ママの指のさす方を見たら・・・」
「ふむふむ、見たら?」
「虹が、かかっていたの」
「なんと、なんと」
「パパはあの虹の下で働いているって、ママが言ったのよ」

「・・・やさしいママだね。きみを悲しませないために、そう言ったんだな」
雲の言葉に、ポポは訝しげな顔をした。
「どうして?」
「ど、どうしてって・・・パパ、死んだんだろ?」
「死ぬって?」
「うーん、つまり、どこにもいなくなるっていうことかな」
「死んでなんかないもん、パパは虹の下でくらしているの!」
ポポがはげしく言い返したので、雲はまた失敗したのに気づいた。そして、あわてて言い直した。
「そ、そうとも。きみがそう思うなら、そのとおり。きみのパパは、あの虹の下にいる」

「えっ!」
ポポが顔を上げると、巨大な虹が眼前にせまっていた。
「いつの間に、こんな近くまで・・・」
ポポは絶句した。
「あの虹の大樹をこえると終着だ!」
見ると、バカでっかくて途方もなく高い樹木が、虹を覆いかくさんばかりにあらわれた。
「なに、あれ? それに終着って?」

「いまにわかるよ。それよりも今は樹の上を見て!」
「あっ、フーセン!」
それはたしかに、ポポが歩道橋の上で見失い、雲に追跡を命じた赤い風船だった。雲はそこへ急接近した。
ポポは手をのばして、風船の糸を枝から外した。
「あたしのフーセン!」
そのとき突風が吹いた。「あらっ、たいへん!」
風船はポポをぶらさげたまま、雲から浮かび上がった。
「わーい、それじゃ、雲さん、バイバイ」
ポポは、片手で風船の糸をつかみ、もう片一方を雲に向かってふった。
「またな、おちゃめさん」雲が応えた。

風船とポポは雲から急速に離れた。
雲がなにか叫んでいる。
「すべてが道標。すべてが道標。すべてが道標。すべてが道標・・・」
「ドウヒョウ? どうしょう! なにがなんだか、わからないよぉ!」
風船は、ポポをぶら下げたまま、虹の大樹をこえた。
そこは、虹の真上だった。
虹はバームクーヘンを上から見た感じ、つまり一枚の細長い板になった。そして金の延べ棒のように輝いた。
ポポは息をのんだ。そのとき、すぐ上で声がした。
「すごいっ、きれいっ、たまらない、ってか?」

「あら、フーセンさん、あんた喋れるの」
「もちろんさ。飛行船や雲ができるのに、ぼくだけちがうわけないじゃないか。もしそうなら、著しく論理の整合性を欠く」
風船は一気にまくしたてた。興奮しているのか、赤い顔がますます赤く見える。
「ごめん。だって今まで無口だったから・・・」ポポは謝った。
「それはね、口をひらくと、からだが小さいから、中身がみんな出てしまって・・・」
言い終わらないうちに風船はしぼんでしまった。
「ばかね。きゃあ、たいへん。きゃあ!」
ポポは、お尻から虹の上に落下した。そして丸みをおびた虹の斜面を、ものすごい速度ですべりおちて行った。
「きゃあ、きゃあ、きゃあ、きゃあーっ!」

どすん!

ポポは、また尻もちをついた。でも痛みは感じなかったし、そのことを不思議にも思わなかった。周囲の雰囲気が、その何倍も不思議なものだったからだ。
そこは虹の麓のはずだが、工事現場のような有様だった。あちこちで地面を掘っている人々。土砂を運んでいる人々。測量をしている人々。みんなヘルメットをかぶっている。
ポポは尻もちをついたまま、その光景を眺めるばかり。

そのうちポポの存在に気がついた男たちが、手にしていたスコップやツルハシを放りだしてポポの方に集まってきた。
「タマじゃないか?」
なかの一人が言った。そして、よろよろと前に進みでた。
「タマだろ?」
「いえ、あの、その、えーと・・・」
ポポは、しどろもどろ。
「やっぱりタマだ」
男はポポを抱きおこすと、その喉もとを何度も摩り上げた。
「ついに見つけたぞ。これはオレのだ!」
男は歓喜の涙を流していた。

「あたし、猫じゃないもん!」
ポポは、すばやく男の腕をふりきった。しかし、すぐ別の男に捕まった。
「母さん、会いたかったよ」
大の男に泣きつかれて、ポポは途方にくれてしまった。逃げだそうと男の頭をポカポカたたいた。
そこへ、また別の男があらわれ、ポポの手をとった。
「きみは、エリコさんにちがいない。ぼくの恋人のエリコさんにまちがいない」
そして、ポポを第二の男からひき離そうと引っぱった。
「母さんに、なにすんだよお!」
第二の男も負けじと、ポポのもう一方の手を引っぱった。
「やめてよっ、ちぎれちゃうよお!」
ポポが、たまらず叫んだ。

「ウチのタマをいじめるな!」
第一の男が割って入った。だがもう収拾がつかなかった。遠まきに見ていた男たちも、いろんな名前を呼びながら、次つぎに争奪戦に参加した。熾烈なバトルロイヤルが展開した。
「このやろう!」「なにおっ!」「くそっ!」「ぎゃっ!」
罵声がとびかい、悲鳴がひびき渡った。
ポポは、その大混乱のまんなかで、地面にぺたりと座りこみ、両手で耳をおおい、下を向いてかたく目をつむっていた。
どのくらい時間がたったのだろうか。ふいに喧噪が遠のいた。静寂がやってきた。
誰かがそばに立っている気配を感じた。

ポポは知っていた。
顔をあげて目をひらく前に、すでに知っていた。それはパパだ!。
その人はポポを抱きおこした。とてもなつかしい匂いがした。潮の香りだ。目をあけると、日焼けした男の顔があった。
「パパっ、パパねっ!」
ポポは夢中で抱きついた。
「一体どうしてここに?」
青いヘルメットをかぶったパパがやさしく言った。たくましい手がポポの頭を撫でている。ポポはとても気持ちがよかった。
「あのね、歩道橋の上でね・・・」

ポポは、いままでの出来事をみんな話した。
「そうか、お前は夢をみているんだな」
「夢を?」
「そう、夢のなかの、唯一の回路をたどって、ここまできたんだ。だけど、夢でも会えて嬉しいよ」
パパはポポを抱いている腕に力をいれた。
「ママは元気か?」
「うん」
パパはポポの顔を見つめながら涙を流していた。ポポもパパの顔をじっと見つめ返して泣いた。
しばらくしてから、パパが言った。
「さあ、もうお帰り」

あたりが急に暗くなった。と思ったら、また明るくなった。そしてまた暗くなった。
気がつくと、虹が切れる寸前の蛍光灯のように点滅している。
「じきに、虹が消える。さあ、はやくお帰り。虹の消滅と同時に、夢の全能も終わる。そうしたら、お前は永久に、こちら側にとり残されてしまう」
「パパは?」いつ帰れるのと、ポポが言おうとしたとき、パパが立ち上がった。そしてポポを自分の頭上高く支え上げた。
「わーい、高い、高い!」ポポがはしゃいだ。
次に、いったんポポを地におろすと、その両手をつかんで、身体をくるくるまわした。はじめは、ゆっくり。だんだん、はやく。
「わーい、目がまわるよ。けど、楽しいっ!」
ポポが叫んだとき、パパが手をはなした。
「さよなら、ポポ」

ポポは、空を飛んでいた。星ひとつない、まっ暗な夜空だった。気持ちがよかった。このまま、どこまでも飛んで行きたかった。ポポは両手を翼のように広げた。次第にスピードが増した。加速度? ポポは自分が飛んでいるのではなく、おちていることに気づいた。はげしい恐怖がポポを襲った。
「きゃあ、きゃあ、きゃあ、きゃあーっ!」

どすん!

「ポポちゃん、ポポちゃん」
遠くからママの声がする。めざめると、ママがいた。ポポはそこが歩道橋の上であることを思いだした。
「あっ、ママ、お帰りなさい」
ママのずっと後ろの方の空、かつて虹がかかっていたところには、赤い雲がたなびいていた。もう夕方だった。ポポは、ここで何時間も寝ていたらしい。その間、通行人は誰ひとり不審に思わなかったのかしら。そんな疑念が、ポポの頭のなかを一瞬よぎって、ふっと消えた。
不思議なことは何もない。感覚したものはすべて真実である。
「お迎えありがとう、ポポちゃん。でも、こんな場所で寝ちゃだめよ」ママが顔をしかめた。
「あのね、パパに会ったんだよ」
「そう・・・元気だった?」
「うん。パパがね、ママも元気か、って」            
ママは急に涙ぐみ、ポポの前髪をかきあげると、その額にかるくキスをした。 
「そう。いい夢みたのね。晩ごはんは、パパも大好きだったカレーライスよ」


                                                (おわり)


初出 現代詩フォーラム(2004年11月3日)

by puffin99rice | 2014-07-26 20:07  

石原吉郎「若い人よ」について

私はちがうのだ若い人よ
私はちがうのだ
私の断念において
私はちがうのだ断念への
私の自由において
堤防はそのままに
堤防であり
空はそのままに空であることが
私の断念のすべてだが
しかしちがうのだ
通過することが生きることの
はげしい保証である爪先は
私にはとどかないのだ
若い人よ





 奇妙な言い方だが、私は生身の石原吉郎を一度だけ間近で見たことがある。1974年か75年当時(もう記憶はあやふやだ)つまり私が絶世の美少年(笑)だったころの東京の、たしか場所は八丁堀の勤労福祉会館だったと思う(思うだけで自信はない)
 そこの小ホールで夕方、現代詩の講演会が開かれる予定で、そのころ私淑していた山本太郎も来るという情報を得たので行ってみる気になった(はずだ) そういえば小海永二の姿もそこで見た記憶がある。そして僧侶のような雰囲気を漂わせた石原吉郎。ほかにも幾人か「現代詩人」たちが来ていたはずなのに私が思いだせるのは、この三人だけ(石垣りんの朴訥な朗読を聴いたような気もするが別の場所でのことだったかも)なんて不甲斐ない私の記憶力。石原吉郎が何を講義したのかさえ、もはや当然のように忘却している。
 が、ただひとつ、私の記憶の感光紙にあやうくも焼き付いていることがある。


 聴衆はほとんど学生や若い社会人だった。講義が終わった直後、なかの一人が突然立ち上って石原吉郎に質問をぶつけた。その言葉はもちろん正確には覚えていないが多分このようなことを言ったのだ。
「私は昭和●●年生まれですが、私たちの世代は詩のテーマになる共通の体験がないと思うのです。たとえば戦争や、それによる石原さんの場合のようなシベリア体験、あるいは六〇年安保闘争のように時代と真向かう仕方で詩を書くのはもう不可能だと思うのです。いったい私たちはこれから何を書けばいいのでしょうか」
  この発言を気にとめたのは、私も偶然昭和●●年生まれであり、なすべきことのない時代の予感とみずからの未熟さに日々苛まれていたからである。いま思うと児戯にもひとしい、しかし、かけがえのない一時期であった。それでも、さすがに何を書いたらいいかは他人に訊くべきことではないと思うくらいの分別はあった。現在を過ぎてゆくことでしか固有の言葉を持ちえない境遇と年齢のなかにいるのだからと、当時の私はしゃらくさくも考えていた。歳をとれば、そのうち嫌でも何か書けるようになると、さかしらに思っていた。
 だがその反面、この若い発言者の質問は私の質問でもあった。
 答は。
 石原吉郎は応えて、こう言った(はずだと私が思いこんでいる)
 「私は自分のことしか語れない」
 たしかに彼はこう言った(はずだ)。その言葉はかたくなな調子で私の耳の奥底に響いた(そんな気がする)。

「私は自分のことしか語れない」

 そうして、これが私が石原吉郎の肉声として覚えている言葉のいっさいである。いま長年月をへて「石原吉郎全詩集(花神社)」のなかに「若い人よ」を見いだすとき、私の感慨はふかく切ない。「通過することが生きることの/はげしい保証」であった私の歳月! しかしその「爪先は」「私にはとどかないのだ」と詩人は書いていたのだ。私たち「若い人」へのメッセージとして。
 この作品は1975年に「磁場」に発表された。




●石原吉郎(1915~1977)

静岡県生まれ。敗戦時ソビエト軍に拘留されシベリアでの重労働25年の刑を宣告される。昭和28年スターリン死去にともなう特赦による帰国後、38歳から詩を書きはじめた。処女詩集「サンチョ・パンサの帰郷」の上梓は49歳のときであった。


初出 現代詩フォーラム( 2003年11月22 日)

by puffin99rice | 2014-07-19 16:38  

立原道造「さびしき野辺」について

いま だれかが 私に
花の名を ささやいて行った
私の耳に 風が それを告げた
追憶の日のように

いま だれかが しづかに
身をおこす 私のそばに
もつれ飛ぶ ちひさい蝶らに
手をさしのべるやうに

ああ しかし と
なぜ私は いふのだらう
そのひとは だれでもいい と

いま だれかが とほく
私の名を 呼んでゐる・・・ああ しかし
私は答へない おまへ だれでもないひとに





 札幌の予備校に通っていたことがある。冬期オリンピックがその都市で開催される前年のこと。予備校の寮に入って朝から晩まで受験教材とニラメッコ。あんなに勉強したのは生まれてはじめての経験だった。もう二度としたくない(笑)。
 というのは置いといて、上に掲載した作品はその予備校の便所のラクガキのなかにあった。もちろん無記名。だから後年、室生犀星の「我が愛する詩人の伝記」(新潮文庫)のなかで再会するまでは、そこの予備校生が気分転換に書いたポエムだと思い込んでいた(笑)

 これは恋のあこがれと不安をうたった抒情詩なのだろう。
 しかし「いま だれかが」「花の名を ささやいて行った」のを「風」が「追憶の日のように」「告げた」という、なんとも不思議な感覚。「いま」のことを「追憶の日のように」とは。「私のそばに」「しづかに」「身をおこす」「だれか」も実体が希薄である。そして、あろうことか「そのひとは だれでもいい」し「だれでもない」のだ。
 これは、はじまったと思うまに終わっている物語。つまり実際には何も起こってないのに、言葉だけで仮想されてしまった世界ではないのか。立原の詩にはこうした虚構性がつきまとう。その繊細華麗な語法に酔いしれながらも、どこか「オイオイソレハ、ホントナノカ」と思うことがしばしばある。素朴な感情の発露ではなく、言葉のみで世界を再構築しようとしたような。その意味では立原の詩はきわめて現代的だといえるが、なにやら胡散臭い印象を常に払拭できない。そう思うのは夭折という事実に深く関係しているのだろうけど、私においては最初の出会いが便所の中だったせいなのかもしれない(笑)
 立原道造ファンのみなさん、ゴメンナサイ。



●立原道造(1914~1939)

東京日本橋に生まれる。中野区江古田の療養所にて死去。生前に刊行された作品は、詩集「萱草に寄す」と「暁と夕の詩」に収録した二十篇にすぎなかった。


 初出 現代詩フォーラム(2003年11月29日)

by puffin99rice | 2014-07-14 21:28  

詩を書いてみた

いつだって わたしを
蔑むものこそ 希望

明日のために
恋人のために 麺麭のために
歌おうとして
堕落した

わかって もらおうとして
絶望した

いかなる死でも
あがなえない

黄金の
言葉は

何のためでも
誰のためでもなく
立ち上がるときが
いちばん

うつくしい


by puffin99rice | 2014-07-02 19:31