黒田三郎といえば詩集「ひとりの女に」(1954年)であるらしく、はやくも六十年代のはじめには「戦後詩人の恋愛詩のなかで古典的な位置を占める」(大岡信)とまで言われました。たかだか十年で「古典的な位置」というのも、なんだかなあですが、それはそのまま戦後日本の恋愛詩の層の薄さを露呈した評言でもあったのでしょう。
 今日ますますその「古典的な位置」は定まって、詩集「小さなユリと」とともに彼の生涯の代表作とされています。
 しかし個人的に一番好きな作品をひとつだけ挙げるならば、そのいずれにも入ってない「逃亡者」(詩集「失われた墓碑銘」収録)です。この作品は1942年以前、すなわち黒田三郎が二十代前半に書いたものらしく、後年のあの明らかなスタイル(平明な生活詩)とは装いがちがいます。それだけに戦後、彼が何を捨てざるを得なかったのか見てとることができます。
 ともあれ、眼前の一篇の詩は私(読者)が愉しむためにあり、ことさら作者の履歴まで動員して読む必要はないでしょう。一人の読者(私)はただそこに記された言葉という標識を読み解きながら、ひとつの見慣れぬ風景に、新鮮な未知の世界に無心に分け入るのみ。そしてそのささやかな感想文は、私が愛した詩と詩人たちへの敬慕の表明、ファンレター以上のものではありません。
というわけで、まずは一連目。


 余りしづかで美しいので
 不安になりそうな
 夜の町
 そのどこかで
 一軒の家が燃えている
  

 読んだとおりのイメージが浮かびます。「夜の町」のどこかで「一軒の家が燃えている」。文体は平明。でも、どこかしら幻想的な雰囲気が漂っています。「余りしづかで美しいので」不安になりそうだというのですから。この感覚は詩集「小さなユリと」にも出てきます。

森の上の美しい日没/その異様なしずかさのなかで/お前は思う/もはやもとにかえることはできない/(「美しい日没」)

 そしてまた「月給取り奴」という作品では「僕はこの道のしずかさにたえる」とも書いています。「お前は思う」とか「たえる」という言葉には、意にそまぬ生活をどうにか送っていくために無理やり意志的になろうとしているような響きがあります。後年の作品には顕著な感情で、こういうのもいいのですが、私のように生活にまみれている者には逆に生活感のない「逃亡者」のような作品が魅力的にみえるのでした。
「逃亡者」は日常の文法では書かれていません。すごくファンタスティック、なのです。


 火はあかく染めるだろう
 窓影に立つ蒼白い少女のほほを
 火はあかく染めるだろう
 それは
 眼に見えぬどこか遠くの夜の町

 
 あした運転手や奥様や代言人は見るだろう
 焼け落ちた家
 石壁のなかの空洞
 沢山の眼がじろじろそれを見るだろう
 がやがや声がそれをとりまくだろう
 恥辱を受けるものよ
 二度と姿を見せない美しい深夜の逃亡者


 かくて「少女」と「逃亡者」との、いわくありげな関係に想像力をかき立てる私(読者)がはじまる(笑)。そもそもこれは何のことを書いているのでしょうか。放火事件みたいな。あ、放火現場から逃走する犯人の姿が見える。それは少年です。少年だって? 「少女」の対置としての「逃亡者」は少年にちがいない。少年にとって「火」を放つことは神聖な儀式だったのかも。通過儀礼のようなもの。思春期の妄動。純潔との別れ。畢竟、それは詩人の内面で繰り広げられる影絵のドラマ。美しい夢。
 ああ、けれど、それも「あした」になれば汚されてしまう。


 沢山の眼がそれを見るだろう
 がやがや声がそれをとりまくだろう


 一夜明ければ、詩人の作品そのものも「焼け落ちた家/石壁のなかの空洞」にすぎないのです。


 恥辱を受けるものよ


 そして全行を受けとめて比類なくすばらしい最終行がくる。これまでの言葉はすべてこの1行の詩句のためにあったといっても過言ではありません。思わず声をだして読み終わる。


 二度と姿を見せない美しい深夜の逃亡者 



 

黒田三郎(1919~1980)

広島県生まれ。戦前は北園克衛主宰の「VOU」に参加・戦後は「荒地」同人として活躍。晩年は「詩人会議」に拠った。







  初出  詩誌「れん」1985年 
  改題  現代詩フォーラム  2003-09-26
by puffin99rice | 2015-05-22 21:46