この詩人の作品、まとめて読んだことがない。一冊の詩集で読破したことがない。って、いばるな。アンソロジーでしか味わったことがないのだ。
 では最初に読んだ作品はと記憶をたどれば、はるか昔、高校の修学旅行で京都へ行ったとき(私の郷里は北海道斜里町)泊まった旅館の近所の古本屋で買った文庫本のなかだった。ちなみにン十年後のいまでもその本は私の本棚にある。
 安西 均・編「戦後の詩」(現代教養文庫)。昭和37年初版発行だから、買ったときはすでに昔の本だった。うーむ、あれからさらに茫々と歳月は流れた。我ながらすばらしく無駄に生きたもんだ。その時間の経過に変色し、いまにも崩れてしまいそうなページをそっとめくって一篇の詩をさがす。
「子守唄のための太鼓」。これが私が清岡さんの言葉に触れた最初の作品。

 二十世紀なかごろの とある日曜日の午前
 愛されるということは 人生最大の驚愕である
 かれは走る
 かれは走る
 そして皮膚の裏側のような海面のうえに かれは
 かれの死後に流れるであろう音楽をきく

 うん、「人生最大の驚愕」っていうのが当時の私には新鮮だった。とくに「きょうがく」と顔面を歪ませて発音するのが。「かれは走る/かれは走る」の疾走感もいい。ここは後半の「かれははねあがる/かれははねあがる」と対になって躍動する感じ。ワクワクする。「二十世紀なかごろ」は1950年頃? いやあ、古いなあ。ちょうど私が生まれた頃だ。でも言葉はちっとも古びていない。

 人類の歴史が 二千年とは
 あまりに 短すぎる
 あの影は なんという哺乳類の奇蹟か?
 あの 最後に部屋を出る
 そのあとで 地球が火事になる
 なにげなく 空気の乳首を噛み切る
 動きだした 木乃伊のような恐怖は?
 かれははねあがる
 かれははねあがる
 そして匿された変電所のような雲のなかに かれは
 まどろむ幼児の指をまさぐる
 ああ この平和はどこからくるか?
 かれは 眼をとじて
 誰からどのように愛されているか
 大声でどなった


 何十年たっても、あいかわらず説明できない。でも「空気の乳首」とか「木乃伊のような恐怖」とかわけわからんけど妙に魅かれる表現で、「あまりに」「あの影は」「あの」と「行頭」に「あ」「あ」「あ」と連発しているのも感極まっているようでステキだ。狼狽している。ときめいている。
 それはもちろん「哺乳類の奇蹟」のせいだ。「人生最大の驚愕」だ。そしてついにはヌケヌケと「誰からどのように愛されているか/大声でどなった」りしてしまう。自分に子ができた「人生最大の驚愕」そして祝福の詩だ。生を全肯定している。
 そういえば「子守唄のための太鼓」というタイトルも意味深。静かに寝かしつけるどころか、むしろ鼓舞する太鼓とは。
 太鼓でも子守用の演奏法って実際あるんだろうか? もしも作者にお会いすることがあれば、それを聞いてみたい。
 


●清岡卓行  1922年生まれ

 大正11年生まれっていうことは、現在81歳。わがバイブル「戦後の詩」に載っている140名の詩人たちはほとんど鬼籍に入りました。月並みですがご長寿をお祈りいたします。インスタント食品ばかり食っているいまの若者の方が短命です。



 (清岡さんが亡くなられたのは、私がこの文章を書いてから約3年後の2006年の6月だった)



初出  現代詩フォーラム  2003年10月31日(2015年11月26日改題・本文一部変更)
by puffin99rice | 2015-11-26 15:26