場面

・・・・・・二十世紀の夏。大通り公園のそばに建つビルの二階の窓からぼんやりとテレビ塔や噴水や街路を行きかう人波を見ている。テーブルの上に無造作に予備校のテキストやら旺文社の参考書を積んで、その横に大学ノートを広げている。ときどき砂糖をたっぷり入れたコーヒーを口に運ぶ。意味もなく欠伸をする。またしばらく窓外を眺める。おもむろにタバコを吸う。定価八十円のハイライト。少しむせる。いつの間にか十九歳だ。トシくったもんだ。そろそろ禁煙しなくちゃな。疲れている。十五歳を過ぎるあたりから急に世界が色褪せて見えてきた。どうやら黄金時代を失ってしまったらしい。すでに惰性で生きている感覚がある。その後の年月の過ぎるのが早いこと早いこと。床から三省堂の英和辞典を拾い上げるとテーブルに戻す。さっきうっかり落としたまま屈むのが面倒で放っておいたのだ。どのみち回収しなくてはならないものだった。ちぇっと舌打ちをする。与えられたシステムとカリキュラムか。ちぇっちぇっちぇっちぇっちぇっ。舌打ちがどこか空虚な部分で反響する。天井の巨大なシャンデリアを見上げる。こってもいないのに首の後ろを揉む動作をする。ここは「幻想」という名の名曲喫茶。人はその人生の特定の場面を折りにふれ反芻するという。昨日と同じこの現在を、十年後か二十年後か、あるいは臨終のきわにか回想するかも知れない。そう思うと、頭上から背後から、いやあらゆる角度から未来の自分の視線を感じてしまう。だから無意識に未来を知っているにちがいない。もう少しすると女がやってくるだろう。これは予知ではなく約束である。先日の模擬テストの採点済みの答案用紙をもってくるだろう。そしてひとしきり自分の教官について毒舌を吐き笑わせてくれるだろう。そのあと連れ立って狸小路まで歩きショーン・コネリーを見るだろう。夜になったらやたらに具の多い味噌ラーメンを食べるだろう。それからススキノの場末の連れ込み旅館にシケこむだろう。それはもう決まっていることなんだ。「よくわかる世界史」にも「赤尾の豆単」にも「演習百題」にも載っていることなんだ。また冷めきったコーヒーに手をのばす。そのときガランと銅の鈴を鳴らして正面に見えるドアが手前に半分ほど押しひらかれる。女が顔を出し手をふる。もの思いから半身を起こす。すると急に現実の時間が動き出し真先に聴覚が復活する。テーブルから受験生必携用具その他の備品をナップザックに押し込み、伝票を引っ掴んでレジへ向かう。室内を流れているのはモーツァルトの「戴冠式」だと気づく。だるそうに首をふりレジの横にあるリクエスト用の黒板の前で立ちどまる。一番最後の余白に「別れの曲、ショパン」と書きつける。さよなら、この時とこの場所に捨てられた無数の想念たち。二度とここには帰ってこない。後ろ手にドアを閉める。それから女の肩に手をまわし今夜の体位について考えはじめる・・・・・・



初出  同人小説集8号(1992年4月)
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by puffin99rice | 2014-08-26 20:51 | その他の詩 | Trackback | Comments(0)

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