ファンタジーですよね、これ?(前編)

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 ねえダイナ、本当のことを言って。
 おまえは蝙蝠を食べたことがあるの?
       (不思議の国のアリス)



 今日もよい天気です。宇宙風に運ばれて次つぎに到着する太陽光がローゼンクロイツ商会の建物の窓から内部の床に溢れ、蛇の舌のようにちょろちょろせわしなく動いています。
 と、まあこのようにして物語がはじまりました。
 場所の次は時間の措定です。おっと、ちょうど柱時計が午前11時を打ち出したところです。するとカラクリ時計から出てくる人形のように奥の寝室からリリスが登場しました。スケスケの短いネグリジェのほかは何も身につけてないあられもない格好で。
 そのすぐあとから若い男がズボンのベルトを締めながら走ってきて
「たいへんだ! 会社に遅れちまった!」と叫ぶやいなや、そのまま戸外へとび出て行きました。
「まあ、あっちの方と同じで、せっかちなボウヤね」
 リリスは昨夜の情事の火照りを思いかえして艶然と笑いました。主人のホーエンハイムが長期出張で留守にしているのをいいことに男をひっぱりこんでは快楽に耽っているのです。
「それにしてもオナカすいちゃった」
 リリスは台所からワイン一瓶とパン一斤を運んでくると、居間の中央に置いてある大きな水晶球の前にどっかと座り込みました。食事をとりながらクリスタル・ゲイジングに興じるのも彼女の楽しみのひとつ。何が映し出されるかは水晶まかせです。現在、過去、未来、どこにもない風景、あの世の出来事など、その番組構成はなかなかのものです。受信料も要りません。但し、誰にでも視聴できるものではありません。
 リリスは手を水晶の上にかざしてホーエンハイムから習い覚えた呪文を唱えました。
「アブラカダブラ、クリトリス、ヘルメス・メルクリウス!」
 その声に反応して水晶の表面にボッと影が浮かびました。見ているとそれがだんだんはっきりした色と形をなしてきて、とうとうひとつの画像が出現しました。
 それはどこかの家の応接間のようです。その中央のソファーで折しも二人の人物が額を突き合わせて話し込んでいる最中でした。
「あらあ、偶然ね。これは面白いもんが見られそう」
 リリスはワインをラッパ飲みし、立て膝すると水晶の表面に付いている音量調節のつまみを小から大の方へ回しました。



「というわけで、あの事件(前作『不死と黄金』参照)以来、旦那さまは床に伏しておられます。それで先ほども申し上げたようにですね・・・」
 とフッガー家の執事がせわしなく言い継ごうとしたのを、もう一人の男がおだやかに抑えて応じました。
「わかりました。つまりヤコブ・フッガーさまをお慰めするために、あの方の等身大の像を黄金で制作してほしい、というご依頼ですな。えーと失礼ですが、なんと言いましたっけ、あなたの名・・・」
「執事のウィリアム・バトラー・イェイツと申します。旦那さまには幼少のみぎりからビルと呼ばれていますし、家の者たちもそうしていますから、あなたもビルとお呼びください。ところで、その依頼の件ですが、ご高齢でしかも病気療養中とはいえ、旦那さまは審美眼がたいそう肥えていらっしゃいますので、なまなかの作品ではかえってご機嫌を損ねかねないのでございますよ」
 それを聞いて相手が少しムッとしたように言いました。
「ビルさん、前置きはもう結構ですから仕事場に案内してください。たしかに私は一介の職人にすぎませんが、彫刻師カリオストロといえば業界では知らぬ者がないほどの腕前です」
「いえ、けしてあなたの腕を疑っているわけではありませんので・・・とにかくご案内いたします。こちらへどうぞ」
 執事は先に立って部屋を出ました。長い廊下をしばらく行ったところに地下への階段があり、おりきったフロアいっぱい鍛冶屋のように雑然とした工房になっていました。
 執事はカリオストロを招き入れると部屋の隅の方を指さしました。
「ごらんください」
 床にはいくつもの金塊が無造作に置かれていました。どれも妙に歪んでいて、よく見ると何か動物の各部位のように思えます。
「旦那さまが追い求めていらした黄金の牛のなれのはてです。生きたまま捕らえたかったのに、何があったのか私にはわかりませんがこの始末です。こうなったらただの金のかたまりにすぎません。旦那さまが求めていらしたのは永遠の生命に関する情報なのですからね・・・いや失礼、こんなことをあなたに言っても仕方ないですよね。とにかく因縁深いこの金塊で旦那さまの像を作ってほしいのです」
 彫刻師は執事の話をうわの空で聞き流しました。そして無言で身をかがめると床から赤ん坊の頭ほどの大きさの塊を掴みあげました。
「私の腕がヘボかどうか、まずこれで何か作ってみましょう。そのあとで改めて私を雇うかどうかお決めください。なあに三日もお待ちいただければじゅうぶんですよ」
 プライドの高い男なのでした。

 それから三日間、カリオストロは不眠不休で仕事に没頭しました。
 まず魔力が多く含まれている東方賢者の屍蠟のかたまりで像の概形を作ります。これを中型(なかご)といいます。その上に像容を彫刻したものが原型です。金塊にいきなり彫刻するわけではないのです。さらに原型を土の外型でくるみまして焼きしめると蠟が溶け出て空洞ができます。そこに溶解した金を注入し、冷えたのち外型と内型を崩して中身を取り出すのです。それが完成品です。そういった過程を踏んで、彫刻師はみごとな黄金のオウムの像を制作しました。
 四日目の朝、カリオストロが作品を入れた鳥カゴを差し出すと、カゴのなかで麗々しく輝くオウムを見て執事は驚嘆の声を上げました。
 「素晴らしい! まさしく天才の仕事だ。しかも鳥カゴに入れるとは心憎いばかりの演出でございますな」
 すると天才彫刻師が鼻高々に言いました。
「ありがとうございます。しかし鳥カゴに入れたのはわけがあるのですよ。なかのオウムをよく見てください」
 言われて執事は仔細に作品を観察しました。なんと!その黄金の鳥はゆるやかに息をしているではありませんか。そして突然目玉を動かして執事をにらみつけました。
 執事はたいそう動転した様子でカゴの扉をあけて恐るおそるオウムを外に取り出しました。もしかしたら本物の鳥に金粉を塗ったイカサマとでも思ったのでしょう。
「くちばしで突つかれないように気をつけて!」
 彫刻師が注意しました。
 純金のオウムは手にずしりと重みがあり、その上なんとも形容しがたいなめらかさをもっていました。
「信じられない・・・が、これは現実だ。天才の技術が不思議な因縁をもつ黄金の力とあいまって奇跡を生んだにちがいない」
 執事は感きわまっていまにも泣きだしそう。
 そのとき、突然オウムが口をききました。
「ワタシハ、アニマ。天上天下唯我独身(ウソ)。隣ノ柿ハヨク客喰ウ柿ダ(ウソ)。ワタシハ、アニマ」
 これには執事も完全に肝をつぶしてしまい、一瞬めまいがして足がふらつきました。その拍子に思わず手からオウムをはなしてしまいました。
 オウムはまっすぐに落っこちて床にたたきつけられる、と思いきや、なにしろ鳥ですから、途中で必死に羽をバタバタさせて態勢を持ち直しました。そしてここぞとばかり部屋中を飛びまわり、あげくのはてにたまたま開いていた窓から外へ逃げ出してしまったのです。

 二人ともしばらく呆然としていましたが、やっと気をとりなおすと執事が口をひらきました。
「と、とにかく・・・このことは旦那さまにご報告しなくては。なにしろ、あなたの手にかかれば黄金の牛だって復元できるかもですからね。それにしても、もし予定通りに旦那さまをモデルにしていたらと思うと・・・」
執事はぶるっと身体をふるわせました。
「冗談じゃない。旦那さまが二人になったら忙しくてしようがない」
「いや、忙しいとか、そういう問題ではないと思うけどね」
と彫刻師はあきれ顔。
「カリオストロさん、あなたは寝ずの仕事でお疲れでしょうから、朝食をおとりになったらゆっくりとお休みください。下女に案内させます。ではこれで」
 執事は一礼するとそそくさと立ち去りました。
 彫刻師は言われたとおり別室で食事をとり、そのあと豪華な寝台で丸一日死んだように眠りました。
 目を覚ますと次の日の朝でした。すぐそばに昨日寝室まで彼を案内した少女がコップ一杯の水をささげて立っていました。
「おはようございます。お目覚めでございますか。ビルさまがお呼びでございます」
 少女はにこやかに言うとコップを差し出しました。この国では朝おきぬけに水を飲む習慣があるのです。
「ありがとう。ところでなんてぇ名だったかな、あんた?」
少女はスカートの裾をつまむとちょっと膝をまげてお辞儀をしました。
「梅麗露と申します」
「メイリー・ルー? ふーむ、とても美しい名だ。おぼえておこう。ご両親は東洋人かな?」
 彫刻師がなんの気なしにたずねると、メイリー・ルーの顔が急に曇りました。
「わかりません。わたしは赤ん坊のとき闇の市で買われた身ですから。名前も旦那さまがあとから付けたものです。聞くところによりますと、むかし東のはてにあった国で作られていた聖なる飲料の名だそうです」
 一部の特権階級をのぞいて、極貧のなかにあえいでいるこの国の民にとって、自分らが生きるために泣く泣く子どもを間引いたり売ったりするのは珍しいことではありません。
「そうか。そりゃ悪いことを聞いたな。しかしそのうちこの国も変わるだろう。金満と飽食のため天の怒りをうけて一夜にして海に没したという伝説の島『ヤーパン』のようにな」

 彫刻師が応接間に入ったとたん、待ちかねたように執事がまくしたてました。
「カリオストロさん、美女を彫ってください。絶世の美女を。旦那さまに昨日の件を話したら、そういうことなら今さら牛でもない、どうせなら自分を愛してくれる女性がよいと申しましてね。無理もありません、旦那さまは女運の悪い方でございまして、過去に言い寄ってきた女はみな旦那さまの財産めあてでございましたから。きっとお寂しく思っていらしたのでしょう」
「そういうことなら」と彫刻師が自分の胸をひとつどんとたたきました。
「おまかせください。アフロディテだろうがグレタ・ガルボだろうが、お好み次第の女人像を作ってみせます。但し、彼女たちが旦那さまを愛するかどうかは私の関知するところではありませんが」
 執事がなんだかずいぶん古そうに変色した写真を一葉とり出してカリオストロに手渡しました。
「そんな有名人でなくてよろしいのです。その女性に似せて作ってほしいのです」
 カリオストロはその写真をまじまじと見つめました。
「なかなかの美形ですなあ。だいぶ前の写真のようですが」
 すると執事が臆面もなく言い放ちました。
「わたくしの青春でございます」
「つ、つまり、あなたがかつて愛した女性の写真ということですか?」
「そうです。全身全霊をかけて敗れ去ることを青春と呼ぶのなら正しくその意味で」
 執事が大真面目に言うので、カリオストロは首の後ろや顎の下が痒くて仕方がありません。
「わたくしがこの世でもっとも美しいと思った女性の彫像を大恩ある旦那さまに捧げたいのです」
 彫刻師が腕組みして考えながら言いました。
「なるほど忠義の士でありますな。主人のためになら自分の、いわば永遠の恋人を人身御供に差し出してもかまわないとは」
 これにはさすがに気を悪くした様子の執事。
「そういう言い方は遺憾に存じます。自分のもっとも大事なものを捧げて悔いない、というのがまことの献身ではありませんか」
「い、いや、失礼しました。わたしにはとっぴな考えに思えたものですから。しかし、主人とその忠実なしもべの関係には余人には窺い知れないものがあるのかもしれませんね」
 カリオストロは、この問題にはこれ以上ふれない方がよいと思いました。そして仕事を引き受けることを約すと工房に戻りさっそく制作にかかりました。

 一ヶ月たちました。
 小さなオウムの像と違って、人体の、それも女性の肉体の線を出すのにカリオストロはじゅうぶんな時間をかけました。微に入り細に入って工夫したので、それはもう完璧な仕上がりでした。
「これはわたしが親方になるためにギルドに出したマスターピースよりも上かもしれん」
 天才彫刻師は惚れぼれと作品を見つめ、その滑らかな曲線を指でなぞったりボディーにべたべた触ったりしました。
 女人像は寝台のように長い台の上に仰向けに置かれていました。もちろん黄金製なので全身ピカピカに光っています。そのうち触っている彼の手にぬくもりが伝わってきました。見ると胸のあたりが緩慢に脈打ちはじめ、やがて上半身を起こしました。いつの間にか大きな瞳をぱっちり見ひらいて。
 やや上向きの可愛らしい鼻。ふくよかな頬。小さな唇。写真のとおりの造作です。しかしそれから下の部分、写真では衣服に覆われて見えないところはすべてカリオストロの恣意的な好み、いや、妄想力の産物でした。
 そのせいかホルスタイン種みたいな豊満な乳房、いったんぐっとくびれたウエストからどおんと弾けた巨大な臀部は、清楚でこじんまりとした首から上には不釣り合いな感じがします。それがいっそう煽情的なムードを醸し出しているのでした。
「はじめまして」
 カリオストロは彼女を抱き起こそうと身を寄せました。なにしろオウムでさえ生命を得てしゃべりだしたのですから、鋳物(いもの)とはいえ人間のそっくりさんが口をきけないはずはないと思っていたのです。
 しかし、その模造人間がとった行動は想定を超えていました。
 彼女はいきなりカリオストロに抱きつくとそのまま床に押し倒して「淋シイノ、淋シイノ、淋シイノ」と喚きながら、重たい巨乳で彼の顔を圧迫するではありませんか。あまつさえ彼の腰のあたりを両足で挟んでさかんに陰部を擦りつけるのでした。
 「ぷはあ、苦しいっ・・・」
 カリオストロは必死に身体を捩ってなんとか彼女の肉体の下から脱出し、あわてふためいて執事の部屋まで走って行きました。
 ビルは飛び込んできた彫刻師を見て言いました。
「血相変えて、いったいどうしたのです?」
「で、出来たんですよ。ご、ご注文の品が・・・」
 若くもないのに全速力で走ったので息が切れてあとの言葉が続きません。
「ピザの宅配ではないのですから、なにも走って来なくてともよろしかったのに」
「い、いや・・・一刻も早くお引き渡そうと思いまして」
 彫刻師はやっとそれだけ言うと、また肩で息をします。
 不審に思い、カリオストロにうながされてビルは工房へおりて行きました。すると正面からいきなり金無垢の裸女に抱きつかれて一緒に転倒しました。彼女はやはり「淋シイノ、淋シイノ、淋シイノ」を連発しながら今度は執事をその重量で押しつぶそうとします。
 が、不思議なことに、そのしなやかでムチムチした触感はまぎれもなく本物の女性のそれなのでした。いや、それ以上のなんと言いますか、極上のモチ肌なのでした。しかもその顔は、ありし日の彼のマドンナに生き写し。ビルは陶然として思わず「わ、わたくしのモルーハ・・・」と呻くように叫びました。「・・・し、しかし、お、重いね・・・」


(後編につづく)


 
  初出 同人小説集第五号(1990年7月)

 





 
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by puffin99rice | 2016-08-31 06:57 | 創作 | Trackback | Comments(0)

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